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浜口直太氏
浜口直太のプロローグ
落ちこぼれだった私がコンサルティグ会社を経営するに至るまで
 

  高校三年生でいやいや初渡米 

 私は現在、国際経営・企業コンサルタント会社を経営しています。ベンチャーキャピタルやベンチャー企業数十社の役員を兼務し、活動の領域は日本、アメリカ、アジアに広がっています。日本の大学を卒業後、アメリカでMBAを取得、さらに財務・国際経営を学びました。
アメリカに本社をを置く国際会計・経営コンサルティング会社二社に勤務したあと、独立。コンサルタントとして1200億円以上の資金調達と50社以上の上場を果たすことができました。

 このように書くと、順風満帆の人生を送ってきたかのように思われるかもしれません。しかし、私の人生を振り返ってみると、失敗と挫折の連続でした。

 小学校では掛け算がなかなか覚えられませんでした。漢字も苦手で、小学校高学年になってもずっとひらがなで通していました。IQテストを受けたときも、まったくチンプンカンプンでした。中学校に入ってからもこの状態は変わらず、高校でも最初の試験以来、ほとんど最下位を続けていたので、ついに心配した担任の先生から、両親ともども学校へ呼ばれました。
「このままですと大学進学どころか、高校も卒業できないでしょう。進学以外の道も考えてみてはどうですか」
 先生は、私がサボッていてできないわけではなく、一生懸命やっていることを知っていたので、違う人生を勧めてくれたのでした。

 高校三年生の夏休みのこと。当時の担任だった英語の先生が私のことを心配して、「アメリカで一ケ月半のホームステイをしてみないか」と、提案してくれました。
「とんでもありません!」と私は即座に断りました。何しろ国語と英語が大嫌いでしたから、アメリカでのホームステイなど、想像もできませんでした。

 激しく抵抗しましものの、結局、息子の行く末を心配する母に押し切られ、渋々渡米することになりました。


  
人生を変えた上司との出会い

 
それから現在に至るまでの長い苦難尾道のりを語る紙数はありませんが、努力の甲斐あって、落ちこぼれの私に奇跡が起こり、今日に至っています。

 アメリカから帰国後、本屋さんで手に取った一冊の本がきっかけで国際経営コンサルタントと知り合い、自分もその仕事に就こうと決意しました。子どものころから「頭は悪いけど、性格はいい」と言われていた私は、人の相談にのることが大好きでした。高校三年生の進路選択の段階で、人を励まし、助けられる仕事はないかと真剣に考え、ビジネスに関するコンサルタントになろうと決めたのです。

 私は目標に向かって歩き始めました。苦手なことにも命がけで取り組みました。高校卒業も、大学進学も危うい状態でしたが、幸運も手伝って何とか乗り切りました。
大学在学中に半年間英語留学をし、卒業後はペンシルベニア大学経営大学院(ウオートン・スクール)博士課程に入学。成績からすれば入学がとんでもなかったのですが、「入試制度にはなかった」論文を勝手に書き、学部部長に熱弁をふるい、その熱意が認められての「仮入学」でした。しかし、高い学費が払えなくなって中退しました

 その一年後、またまた幸運なことに国際的な経営コンサルタント会社にスタッフとして採用されることになりました。しかし、英語も仕事も十分にできない私を待っていたのは、苦悩の日々でした。
 ある日、そんな私を上司だったアメリカ人・ミスターAが一喝しました。「君にはプロ意識がない。今日から新人としての甘えとサラリーマン根性を捨てろ!」
 ミスターAは地方大学の出身にもかかわらず、一流大学出身者ばかりの同期入社組の中で、常に出世レースの先頭を切っていました。とにかく仕事は早く、仕事量が圧倒的に多いのです。いつの間に書いたのか、多くの著書もありました。社内では「変わり者」と言われていましたが、私は、ミスターAの仕事ぶりを尊敬していました。そんな彼にとっては、仕事が遅く、ミスばかりしている私は信じられない存在だったのでしょう。

 将来、経営コンサルタントとして独立することを考えていた私は、彼の指摘に対して一言もなく、ただただ納得と反省の日々を送りました。そして、彼が求める「仕事のプロ」になろうと一大決心をしたのです。それから、、さまざまな本を読みあさり、ミスターAの後ろ姿を見て学び、私なりに「プロの条件」を見つけました。
 現在でも、私の仕事の姿勢の根幹を成している「プロの条件」とは何か。これからお話しましょう。

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